辛子明太子の元祖は?
樋口伊都羽氏
明太子のルーツは現在の韓国と言われています。
また、明治時代に明太子を初めて日本に持ち込んだのは樋口伊都羽氏といわれています。
樋口氏は明治40年に釜山で「明太子の元祖 樋口商店」を創業しました。
しかし、戦争の混乱により、樋口氏は明太子業界から撤退。
川原俊夫氏
時は経ち、太平洋戦争後、朝鮮から日本に引き揚げてきた川原俊夫氏が、朝鮮で食べていた明太子に目を付け、昭和24年に博多で販売する事になります。
発売当初はなかなか売れなかったようです。
改良に改良を重ねて昭和35年頃からようやく売れ出すようになったとの事。
売れ出すようになると、川原氏は辛子明太子の作り方を近所の同業者にも教えました。
また、昭和50年の新幹線開通に伴い、辛子明太子は福岡県博多の名物として全国に広がりました。
現在の辛子明太子の製法を確立したのは「ふくや」の川原俊夫氏。
しかし、川原氏は明太子の商標登録も特許も出願する事なく、レシピを同業者に伝え皆で発展していった。
そういった所以で辛子明太子を博多の名物にしたのは、ふくや創業者の川原俊夫氏であり、元祖はふくやと言われています。
本来ならば、誰も特許を取得せずに元祖も名乗らないのなら、我が先に!となるところでしょうが、そのような経緯があり、誰も元祖を名乗らないそうです。
株式会社ふくや社長 川原正孝インタビュー(全編)
当時の話を川原俊夫氏の息子さんであり、現在は株式会社ふくやの会長である川原正孝さんの証言動画を見つけました。
【ふくやが「元祖」を名乗らぬ理由】から再生されます。
0:00 辛子明太子誕生秘話
1:55 「売り方」か「商品」で勝つしかない
3:27 辛子明太子は売れなかった
4:15 味の改良 試行錯誤の10年
5:20 元祖のレシピ 開示した父
6:45 ふくやが「元祖」を名乗らぬ理由
8:20 運の良い人悪い人
10:14 偉大な父の跡を継いで
11:43 父亡き後の川原兄弟
12:50 ふくやの店舗展開
14:44 兄の奮闘 東京出店秘話
15:58 ふくやの求める社員像
17:47 ふくやの判断基準
18:55 川原社長から次世代へ。
おわり